妖怪が身近にいると面白いな、自分がいる地域に存在していたら楽しいな、と思いませんか。
妖怪は小説や映画、漫画やアニメなど、物語によく登場します。日本では昔から馴染みがある不思議な存在ですね。
怖い雰囲気のものや、愛らしさもあり親しみやすく感じるもの、いろいろな妖怪がいます。
簡単に言ってしまうと日本ではお化けに分類されます。
でもお化けには幽霊も含まれますが、幽霊とはどう違うでしょうか。
幽霊とは違うものとして扱われる不思議な存在である妖怪の定義や、物語などでよく知られている代表的な妖怪を紹介します。
目次
妖怪の定義
『現象』が妖怪であった古い時代
妖怪という言葉が初めて使われたのは平安時代です。
かなり古い時代ですね。
平安時代は祈祷やまじないなども盛んに行われていて、日の吉凶を気にして行動するような習慣もありました。
この時代に妖怪と言われていたのは、人知を超えた現象です。
普段の常識では考えられないことが起きると、それを妖怪としていた、つまり現象について妖怪と定義づけていました。
このころにはまだ、形があるお化け、物の怪として扱われてはいませんでした。
自然現象などを恐ろしいものと扱っていた平安時代も後期となると、鬼のように具現化した存在を恐れるようになり、そういった対象を妖怪と見なすようになったのです。
異形の存在と妖怪が定義づけられた中世以降
中世以降になると、今のようにお化けのような存在の多くを、妖怪と考えられるようになりました。
それまで鬼や猫又という数少ない種類だけだった妖怪は、御伽草子に登場するようになり、人々の間で広まっていきます。
室町時代の妖怪として、物に魂が宿る「付喪神」が絵巻物となっていますが、これは現代にもまだ残っている妖怪の定義となる一つです。
人と物の関わりから、物に命や感情が宿る、正や負の感情から妖怪が生まれるという考えがこの頃から成り立ちはじめています。
古くから言い伝えられていて、妖怪が好きな人々に浸透している考えや定義の一つがこれです。
人の恐れや負の感情から生まれ、それが形を成したもの、具現化して悪さをしたり人に成敗をしたり、人間の身勝手な行いが八百万の神に通じる妖怪からお仕置きを受けるという考えに近いものがあります。
鬼や天狗からの成敗は、お仕置きどころではないので、江戸時代などに絵巻物や舞台で扱われていた妖怪は恐ろしく描かれており、人々を怖がらせていたという点では、その頃の妖怪は人間を脅かす恐怖の対象に近いと考えられます。
妖怪は地域特有のものが多い
どこにでも現れる妖怪もいます。
ただ、その地域特有で、本土には少なく特定の地方に言い伝えがある妖怪というものもあります。
前述の付喪神のように、人間が使っていた道具に何かが宿ったり変化したりという妖怪は、場所を選びません。
ところが、雪山にしか現れない雪女や、海のあるところでなければ見ることができない海坊主など、その地域でしかお目にかかれない妖怪というのも存在します。
現在でも日本地図妖怪分布図のようなものは、よく出回っていて人気です。
北海道で知恵の神さまとして親しまれるコロポックルはよく知られていますが、これも北海道特有の妖怪として分類されます。
有名でどこにでも現れそうな座敷童(ざしきわらし)ですが、東北発祥で、東北の妖怪とされているのです。
沖縄のキジムナーはその不思議な語感から、知られている妖怪ですね。
このように、その土地を守ったり特有の場所から生まれる理由があったりする妖怪もいます。
同じ個体の妖怪がずっと存在しているかどうか、それは謎となっていますが、その土地だけにいる妖怪というのもいて、それも妖怪が生まれ出た理由を定義づけるひとつとなっているのです。
妖怪と幽霊の違い
同じお化けで有名なのは幽霊です。
妖怪と幽霊はどう違うのか、これが不思議な点です。
妖怪と幽霊の違いを解説します。
人ではなく場や物から生まれる妖怪
妖怪はもともと人であったものは、かなり少なく、その場所に染み付いた人間の想念や自然の力から生まれだしたものと考えられています。
八百万の神を恐れ奉るアニミズム信仰と似た思想が、妖怪を生み出したと考えるといいですね。
山や海という大自然の脅威が危険であることへの恐れや敬虔な思いが、そこに棲む妖怪を生み出しました。
普段使っている道具が古くなり、命や心が宿ることで、大事に使うべきであるという考えのひとつは付喪神を作り出し、現代の子どもたちに戒めとしても通じています。
つまり、独立した命が自然界などから誕生して、異形の個体として存在するのが妖怪です。
元が人間だったと考えられる妖怪もいますが、数は少なめです。
また妖怪は特定の人に関わりがあるものは少なく、人を選ばずに目の前に現れて驚かしたりします。
その場所に縁がある妖怪が多く、通りかかった人が遭遇するパターンが多数です。
生きていた誰かが肉体を失った魂が幽霊
妖怪は信じなくても幽霊は信じるという人は比較的多いですね。
妖怪はおとぎ話のイメージが強く、子どもが楽しむ空想的な物語である程度の年齢になると卒業してしまう人が少なくないからでしょう。
作り上げられたキャラクターのような見た目の妖怪は、漫画やアニメの中だけにあるものとして、幽霊はいるのでは?実際に体験した、という人は目立ちます。
では、妖怪に対し、幽霊というのはどういうものを指すでしょう。
幽霊はいわゆる『亡くなった存在』です。
つまり死んでしまって肉体を失い、魂だけになったお化けが幽霊と定義づけられているのです。
一般的には人が幽霊として出てくるケースが多いのですが、怪談の中では猫や蛇という、恨みを残して命を落とした動物も、幽霊として現れたりすることがありますね。
うらめしやーという決まり文句で、生きている人の前に出てくる、古くからのお化けは幽霊です。
うらめしやー、は「恨めしやー」であり、未練を残している、未練や恨みを晴らしたいという意味の言葉で、遺された人への怨念を晴らす怨霊となって出てくる、よく伝えられている恐ろしいパターンの怪談が多くあります。
これは人が肉体をなくして魂だけになり、幽霊になったものです。
幽霊は恨みだけで出てくるのではなく、よく「守護霊」という言葉がありますが、親しい人や子孫などを守り、危険から遠ざけるためにそばにいる目的の幽霊もいると考えられています。
触れられるかどうかの違いも
妖怪のすべてではありませんが、妖怪の中には確かな肉体に近いものを持ち、人が触れられるものがあります。
たとえば河童や泥田坊など、物理的に水や泥を動かす妖怪がいます。
神さまに近いものとして分類される龍は、神主に近い力を持つ人はその背に乗るような伝承も存在しています。
しっかりとした実体があるわけではないのですが、妖怪がその意志を持てば、人間に触れさせることや、物理的に自分の四肢などを使って何かを動かすことができる妖怪もいるということになります。
幽霊はそれがありません。
透けて見えたり、見える人が限られていたりする幽霊は、肉体を失っている存在のため、触れることができないのです。
ホラー映画などで、たまに体験被害者の上に乗ったり手足を掴んだりする幽霊もいますが、あれは幽霊自身がその意志でしている描写で、肉体の力に頼っているものではありません。
そのため、親しい人の幽霊に会えた人が、抱きしめたり触れたりしようとしても、突き抜けてしまうということが起きます。
多くのフィクション作品ではそのような描写になっていますね。
触れられることもある妖怪、肉体がないため物理的存在がない幽霊、大きな違いです。
代表的な妖怪5選
日本には多くの妖怪が存在すると考えられ、古くから絵巻物や書物に残されてきました。
映画や漫画、小説にも登場する有名な妖怪を5選紹介しましょう。
巨大な骸骨 がしゃどくろ
人を見下ろす巨大な骸骨が空を頭上を覆うように現れるような映画などを見たことがあるかもしれません。
がしゃどくろです。
有名な妖怪です。
がしゃどくろは、死者の怨念が集まったものです。
それだけなら幽霊の怨念、つまり怨霊と変わらないのでは?と思ってしまいますが、このがしゃどくろは、戦死者などが野ざらしになり骨となった末に、その怨念から集まり形を成したものという、特定の成り立ちがあります。
長く生きた猫が変化する?化け猫
ペットとして愛されている猫ですが、年を経た猫は化け猫になると恐れられもしています。
化け猫と猫又、どちらともいわれますが、厳密にこの区別はついていません。
子どもさんでも知っている名前は、化け猫のほうですね。
犬は忠実で人間を信じ、冷淡な扱いを受けてもそれを受け入れて恨むことがないというイメージを古くから持たれていますが、猫は執念深くて自分に仇なした人間への恨みをいつまでも忘れないと思われてきました。
妖力を持ち妖怪化して復讐すると考えられて生まれた猫の妖怪が、化け猫であり、または猫又です。
猫又は尻尾が二つに分かれているので、見た目は違います。
化け猫は人の姿で猫の目や耳、爪がついていることがあるのが特徴です。
小豆を洗いながら人を誘う小豆洗い
いろいろな作品に登場する小豆洗いは、川でシャカシャカと音を立てて、小豆を洗っている妖怪です。
見た目は老人であったり老婆であったりさまざまですが、していることは、小豆を洗っているという共通点があります。
小豆を洗いながら歌って人間を誘い、崖から、または川に落としてしまうというものが有名です。
もともとは、神さまの使いとして神聖な小豆を洗っているという説があります。
天狗は神さまとも考えられる
鼻が長く厳めしい顔をした天狗も日本では有名です。
おとぎ話にもよく登場する天狗は、悪いことをした民衆にしっぺ返しをする行動に出ることもあります。
また立ち入ってはいけない聖域になっている山に、いたずらや悪意から侵入した人間をとらえて帰さない、神隠しという現象を起こすのも、天狗の力として恐れられています。
人間の里に近い場所に住む神さまの一族として恐れられて敬われるのが、天狗です。
ただし、意味もなく人間に罰を与えることはありません。
武芸に秀でた天狗は、その才能を人に伝授するという器の大きさも持っています。
心がまっすぐな人間が危機に陥ったときには、力を貸して助ける話も残っています。
座敷童は家にいる子どもの妖怪
座敷童は座敷ぼっこともいわれています。
小さな子どもで、女の子の姿が多く、ふいに家の中に現れる妖怪です。
発祥は東北地方ですが、他地方でも似たものが見られていると噂されるようになりました。
驚かせたり、時には害を与えたりする妖怪の中で、この座敷童は、ぜひ我が家にも来てほしいと歓迎されるものです。
座敷童と遭遇すると、または家に来てもらえると、幸福になるといわれているからなのです。
家の中に現れて無邪気に遊んだりする姿が見られ、一人ではなく誰かが遊びにきて複数存在することも。
幸福を呼ぶ座敷童ですが、出て行ってしまうと財運が傾き没落してしまうとされていて、座敷童にはいつまでも家にいてほしいと考える人が多数です。
まとめ
日本にはさまざまな妖怪の伝承があります。
神さまと思える妖怪、神さまから下ってきた妖怪、自然界や人の想念から生まれた妖怪、いろいろです。
古い書物や現代のフィクション作品でも楽しめる妖怪ですが、地元特有の妖怪もいるかもしれません。
ちょっと調べてみると楽しいのではないでしょうか。
日本には自然界に関わる神さまや精霊を大切にするアニミズムの考えがあります。
妖怪はそれに関わりがあります。
その考えを少し大切にするつもりで妖怪の世界を覗いてみるのもいいかもしれないですね。