百鬼夜行という言葉を、妖怪やお化けが出るストーリーで耳にしたことはないでしょうか。
百の鬼という言葉だけで、何かとても怖いものに感じますね。
そして夜に行くというワードも、何が起きるのか、ゾッとする言葉が昔から残っているものです。
この百鬼夜行は妖怪に関わるものです。妖怪や鬼が夜に行進する様子、おおまかにはこれを表すものとなります。
絵巻などで妖怪の姿が現在まで伝えられているものですが、ではどういう内容でどういう妖怪について記されているものかを解説します。
百鬼夜行とは
妖怪の姿を知るきっかけとして、古来に描かれた絵巻などをもとに現在のフィクションとして再現されていますが、そのもとになった絵巻にも百鬼夜行姿は多く描かれています。
妖怪や鬼は人が家にこもっている夜に動きが活発になると考えられていますが、百鬼夜行とはそういった異形の存在が、深夜に人里や山中などを徘徊する様子です。
また行進そのものだけではなく、そうしてウロウロする妖怪や鬼たち自体を百鬼夜行とも呼びます。
妖怪や鬼が列を成し、群れになってゾロゾロと歩く様子が、多くの絵巻などに残っています。
まず百鬼という言葉は妖怪や鬼を表しています。
そして夜行は(やこう)と一般的には読みますが、(やぎょう)と読まれることもあり、夜に徘徊する様子です。
百鬼夜行とは、百鬼とされる妖怪や鬼たちが夜にゾロゾロ徘徊しながら、人に悪さをする様子を言い表す言葉として、現代にも残っているのです。
それを揶揄するように、人間が人目に隠れて悪事を働くことにも、この言葉が使われるようになりました。
妖怪が群れになって夜の暗闇を徘徊し、悪さをする百鬼夜行は、少しお祭りのような楽しさも感じさせるのが現代ですが、昔の人にとって明かりがない闇に潜む異形の存在は、とても恐ろしいもので、天災などが引き起こす異常事態も妖怪や鬼に結びつけていた時代では、この百鬼夜行という思想が重く受け止められていたのです。
占いで吉日や凶日を知り、それで行動を決めるような古来には、百鬼夜行に遭遇すると命を失うと考えられていました。
百鬼夜行は暦に合わせて出現するといわれており、今では十二支として考えられている子(ね)や午(うま)の日などが各月により百鬼夜行の日に該当すると思われていました。
鬼たちに遭遇して命を落とす百鬼夜行の日には、貴族たちは夜の外出を控えて、屋敷の奥で身を守り、鬼や妖怪に見つからないように過ごしていたのです。
百鬼夜行という考えは、かなり古くからあるということになります。
もともと妖怪や鬼は、それが異形として絵などに描かれるようになったのはもう少し後の時代になりますが、人智で理解できない現象を鬼や妖怪の仕業と考えるようになったのは、貴族たちが優雅な暮らしをしていた古い時代からです。
その頃に、人間には理解できず制御も不可能な現象もまた、百鬼夜行として恐れられ、人間は身を慎んで家に潜み、恐ろしい妖怪や鬼から自分や家族を守るような習慣になっていたのです。
そうして「恐ろしいものが徘徊する」と考えられた百鬼夜行は、次第に妖怪や鬼の形として描かれるようになりました。
どのような現象をどんな妖怪たちが引き起こしているかが考えられ、広められたのです。
江戸時代から多くの絵師たちが、絵巻に妖怪が群れ歩く百鬼夜行の様子を描き残しています。
百鬼夜行に登場する妖怪
図として残されることで、後世まで伝わることになった古代に考えられた妖怪の姿ですが、百鬼夜行にはよく知られている妖怪が登場します。
これを紹介しましょう。
火車
亡者を迎えにくるとも、生前に罪を犯した亡者を地獄に送るともいわれている火車は、鬼のような容貌の妖怪が燃えて炎を巻き上げる車を引っ張っている姿で描かれています。
よく知られているのは、罪人を連れに来て燃える車で地獄に送り込む役目のほうかもしれませんね。
どちらにせよ、亡者をこの世から送るという役目を持っていますが、燃え盛る車で走ってくるという姿は、見た目では恐ろしい部類です。
単純に亡者を迎えにきてあの世に連れていくというよりも、罪人の魂が逃げないように地獄に連れていくイメージのほうが強いため、悪さをせずまっすぐに生きていれば火車を恐れることはないと考えられていたのでしょう。
道徳心を揺るがせず人の道に外れないように、良い意味で伝えられている妖怪の一つと考えられます。
しょうけら
庚申待(こうしんまち)の日という民間信仰に関わりがある日があります。
しょうけらは、この日に人間が正しい行いをしているかを監視する妖怪とされています。
悪事を働いている人間を見つけると、しょうけらは自分の鋭い爪でその人間を皮や肉から内臓まで切り裂いて命を取るという罰を与えるのです。
絵師の中でも鳥山石燕が描いている、屋根から人間の様子を覗くしょうけらが、後世まで有名な姿で伝わっています。
悪意を持って悪行に走る人にとっては、その容赦ない成敗が怖いと感じる妖怪で、古くは子どものしつけにも利用されたかもしれませんね。
あかなめ
絵師の鳥山石燕が『画図百鬼夜行』に描いたものが有名です。
あかなめは、古くからの屋敷、住居のチリや蓄積した人間の垢などから生まれたといわれる妖怪です。
見た目の特徴として、ザラザラの長く伸びる舌を持っています。
この下で、風呂の汚れや垢を舐めとるのです。
こういう行動に便利なように、あかなめは水に耐性があり、潜ることも得意で水中での汚れを舐めとることも問題がない様子です。
ただし舐めた垢をきれいに浄化してくれるわけではなく、常に垢を身に着けたままでその家に居座るため、住人のほうがあかなめが振りまく汚れに負けて病気に罹ったりするといわれます。
家を清潔に保つことで、あかなめは長く居つかないとも思われているところがあるので、不潔さから病気にかかることへの戒めでもあると考えられるでしょう。
現代でも、風呂場を中心に家の中や身辺を清潔にしておくことで、あかなめが身にまとった垢や汚れからの病気を防ぐことができると考え、風呂場をきれいに掃除する習慣にもつながる妖怪です。
姑獲鳥・産女(うぶめ)
赤ん坊を抱いた女性の姿をした妖怪です。
二通りの漢字で表されるのですが、姑獲鳥とは中国の妖鳥でこれが日本の姑獲鳥と同一視されたものと考えられています。
どちらも赤子に関わりがある妖怪で、ここで伝えられている赤子を抱いている「うぶめ」は、妊娠出産トラブルに命を落とした女性の妖怪化したものを指します。
産褥事故が多かった昔には、出産できずに命を落としてしまった妊婦は、その腹を切り裂いて赤子を取り出し、身を二つにして赤子を抱かせて埋葬する風習も一部あったということで、産女(うぶめ)はそこから生まれ出た妖怪とされているのです。
そのため腰巻は血だらけで自分が生きて生むことができなかった赤ん坊を抱いた母親の姿をしています。
古い時代の日本では、女性は子どもを産んで役目を果たすものと考えられていたため、それができずに赤子と一緒に命を落とした女性は血にまみれて地獄に落ちるべきという残酷な思想が潜んでいた背景もあり、腰巻を血だらけにした女性の怨念が妖怪化した産女が誕生したという説もあります。
バリエーションはそれほど多くありませんが、血まみれの下半身で赤子を抱いて追いかけてくるという産女パターンも存在します。
鎌鼬(かまいたち)
何もないところで急に手や足が刃物で切られたような傷を負ったときに、カマイタチにやられたんだ、という話を聞いたことがあるのではないでしょうか。
科学的には強い旋風が巻き起こったときに、真空状態が発生したり急激な低圧になったりすることで、皮膚や肉が避けるという説、もしくは同じ状況で飛来した木片や砂粒によって傷ができるという説があります。
昔は、旋風が起きるとそこに妖怪かまいたちが存在して、人に傷を負わせると考えられていました。
傷ができても血が出ないことが不思議だったために、かまいたちが切ったその場で傷に薬を塗るからという説もあったのです。
鳥山石燕が描いた絵などを中心に、多くのかまいたち図が残っていますが、その名前からイタチに似た妖怪と考えられて、容貌はイタチのような妖怪が描かれています。
海座頭
文献がほとんどないため、絵画としてのみ伝えられている、その名前のとおり海に現れる妖怪です。
琵琶を背負った老人の姿で百鬼夜行図には描かれています。
なぜ海で琵琶を背負っているのかなど、発祥になった逸話なども残っていないのですが、現代では岩手県三陸沖によく現れたといわれている海坊主の一種だろうとされているのが、この海座頭です。
では海坊主と同一かというと、出現するシーズンにズレがあります。
海坊主が現れない時期になると、この海座頭が現れて、海の上を歩いて船の上にいる人を驚かしたりします。
脅すだけならいいのですが、船を転覆させることもあるため、海上では会わないほうがいい妖怪と考えられています。
百鬼夜行で最強の妖怪
百鬼夜行では、鬼や妖怪など多くの妖怪が登場します。
無害そうで愛嬌を感じるものや、おどろおどろしく恐怖心を煽られるものなど、さまざまです。
そんな百鬼夜行の中、最強と考えられている妖怪はどれでしょうか。
力の面でも、格の面でも、天狗が最強と考えられています。
天狗はふだん、神域とされる山に住んでいて、自分から人の前に姿を現すことは滅多にありません。
神域であり聖域である場に住んでいるため、逆に人間もそこに立ち入ることはないのです。
だから天狗と遭遇する率は高くありません。
天狗が守る山、そして神域に、理由もなく足を踏み入れたり穢す目的で侵入したり、悪意ある人間が近づいたりすると、天狗はそれに怒りを示して罰を与えます。
天狗は妖怪でもありますが、神ともいわれている存在です。
神格がある妖怪として、天狗は百鬼夜行の中で最強といえます。
そして神格ある妖怪のため、むやみに人間を嫌悪して悪事を働くことはありません。
むしろまっすぐな心持ちの人間にはその力で加護を与えたり、自分が秀でた能力を持つ武芸を伝授したり、人に役立つことをしてくれたという伝承も多く残っているのです。
百鬼夜行の中で最強と考えられる天狗は、その後多くのフィクション作品でも、力がある存在として描かれるようになりました。
まとめ
暗闇や天災が恐れられていた頃に、夜に家の外を出ることは危険だと考えられ、そこには徘徊する妖怪への恐怖が根付きました。
多くの鬼や妖怪が練り歩き人に悪事を働く百鬼夜行が、人々の民間信仰の中に浸透していったのです。
そこで伝えられてきた妖怪たちは、今でも恐れられているものや、子どもたちの中で親しまれるようになったものなど、現代に多く語り継がれて姿かたちも絵で残っています。
百鬼夜行はいろいろな図鑑や絵で観ることができるので、この機会にたくさんの妖怪を見てみるのもいいかもしれませんね。
知らなかった妖怪との出会いがありそうです。