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実際にいた妖怪【牛鬼】伝承や物語・正体を考察!

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「牛鬼」とは、「ウシオニ」「ギュウキ」と呼ばれ、主に西日本に広く伝承が残っている妖怪です。

牛の頭にクモの体、あるいは猫のような体を持つとされています。

「牛鬼」の伝承

牛鬼は多くの伝承が残っており、その見た目も前述したものではなく、牛の頭に着物姿の人間の体、鬼の頭を持つ牛、牛の頭に鬼の体、さらに昆虫の羽を持つ等、その姿は多種多様です。

非常に好戦的で獰猛、残忍な性格を持つ妖怪として恐れられており、人を喰らうだけでなく毒を吐いたり影を嘗める事で病気にしてしまうという能力を持っています。

和歌山県にある「牛鬼淵」では出会っただけで相手を病気にしてしまう牛鬼がいる伝承が残っており、普段は澄んでいる淵の水が濁った時が牛鬼の現れる兆候とされていました。

この時に「石は流れる、木の葉は沈む、牛は嘶く、馬は吼える」と逆の事を唱えると見逃して貰えたと伝えられています。

また、牛鬼は酒を好むと信じられていたため正月には棲み家に酒を供えたという伝承もあります。

牛鬼は水に関わる場所に出現する事が多く、浜辺で人を襲う他、海に住む女妖怪「濡れ女」「磯女」とチームを組んで人を騙して食い殺す事もあったようです。

「牛鬼」の物語

そんな牛鬼ですが、人を助けた物語が存在します。

「三尾川の淵の妖怪」として伝わるこの話では、ある日、村の青年がこの川の近辺にやって来ると、そこには空腹で弱ってしまった女性がいたのです。青年は女性のために持参していたお弁当を分け与えてあげました。

その2ヶ月後、この川が氾濫して青年は流されてしまいます。絶体絶命のこの状況の中、荒れ狂う川から青年助けてくれたのは牛鬼だったのです。

青年が弁当を分け与えたあの女性の真の姿こそ牛鬼であり、その恩返しのために助けに来てくれたのでした。

青年は感謝の言葉を女性の姿をとった牛鬼にかけようとしましたが、牛鬼の様子がおかしい事に気付きます。

なんと牛鬼には「人助けをしたらその人間の代わりに死ななければならない」というルールがあったのです。

女性の体からは血が吹き出し、流れた血で体は溶けて青年の前で消えてしまった、という切なく悲しいお話が語られています。

他にも牛鬼は「牛頭天皇」即ち「スサノオ」の化身とも捉えられている地域もあり、そこでは病魔を祓う者として信仰されているため、なかなか邪険にはできません。

「牛鬼」は実在していた!?

西日本には「牛鬼の物」とされる角や手が奉納されている場所がいくつかあります。

香川県では「根香寺」というお寺に牛鬼の角とされるものが奉納されており、こちらは弓の名手が退治したものだそうです。

他にも福岡県久留米市の「観音寺」には牛鬼に手のミイラがあり、武士ですら恐れ戦く牛鬼を当時の観音寺の住職が法力や念仏によって退治したと伝えられています。

本当にいたかも知れない牛鬼と勇敢な人々の物語。一度は現地で聞いてみるのも楽しい経験となるでしょう。

「牛鬼」の正体

人間を襲ったり助けたりと、なかなか二面性の激しい牛鬼ですが、その正体は意外にも「古いツバキの根の精」と言われています。

ツバキは植物の中でもかなり長寿であり、長い年月を生きたツバキには精が宿ると信じられていたそうです。

また、ツバキは海辺や水辺に生えるとされており、境界に花を咲かせる事から牛鬼の出現場所とも被っているため信憑性があります。

とは言え、人を襲うのは勘弁願いたいものです。

参考元URL:

https://www.nwn.jp/feature/170701_usioni/

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%89%9B%E9%AC%BC

 

それは悲しい母の無念…「産女」について

①「産女」とは

「ウブメ」と読み、「姑獲鳥」「憂婦女鳥」と表記される事もある鳥の妖怪です。日本各地に伝承が残り、夜になると子供をさらうとも言われています。

②「産女」の伝承

産女は中国と日本で伝承が残っており、日本の伝承ではカモメに似た姿で死産した妊婦や産褥に耐えられなかった妊婦をそのまま埋葬すると産女になるとされています。

子供が胎内にいるまま亡くなり、腹を切開して取り出した子供も命を落としている場合は、その子供を抱かせたり背中に背負わせるようにして埋葬する事で産女になる事を防いだそうです。

③「産女」の物語

基本的に鳥の姿で描かれる事の多い産女ですが、人の姿で現れる事もあるそうです。

「百怪図巻」や「幽霊之図 うぶめ」では血塗れの腰巻きをした女性の姿で幼子を抱いている様子が描かれています。

産女はカモメのような鳥の姿から人の姿に化ける事があるとされ、人に会うと「この子をおぶってくれませんか?」と頼んでくるそうです。

言うとおりにしてあげると産女は喜び害はありませんが、逃げ出してしまうと産女はその人を祟り、謎の病と高熱によって死んでしまうと言われています。

また、中国神話の「姑獲鳥」は天帝の娘という伝承もあり、普段は鳥の姿ですが羽を脱ぐと美しい娘の姿になる事ができます。姑獲鳥は子供をさらって育てますが、姑獲鳥に育てられた子供は姑獲鳥に育つとも伝えられています。

④「産女」の正体

産女の正体ですが、生きて子供を産む事ができなかった妊婦の霊、母の妄執が形を成したものとされています。

母子共に命の危険がある出産や産褥ですが、現代でも危険性は変わらず尊い命が失われているのも事実です。

昔なら尚更の事、医療も処置も現代とは全く違うのでより多くの妊婦が亡くなっていた事も容易に想像がつきます。

子供を産めなかった母の無念は如何なるものなのでしょうか。

余談ですが、産女は「ヲバレウ、ヲバレウ」と鳴くそうです。「産まれる、産まれる」とも取れるこの鳴き声、聞こえたなら子供と自身の安全に気を付けなければなりませんね。

参考元URL:

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%94%A3%E5%A5%B3

https://dic.pixiv.net/a/%E7%94%A3%E5%A5%B3

微妙にデリケート?「海坊主」について

①「海坊主」とは

日本各地の海で目撃され、伝承が残っている巨大な人型の妖怪です。その体は数十mにも及ぶ事があると伝えられており、他にも「海法師」「海入道」と呼ばれる事もあります。

②「海坊主」の伝承

主に夜の海に現れるとされており、穏やかだった海面が急に盛り上がり姿を現したそうです。その見た目は坊主頭の黒い巨人、あるいは巨大な半魚人のような姿とされています。

③「海坊主」の物語

海坊主は複数体で現れ船を襲うとされており、海坊主に出会ってしまった場合は船や櫓にしがみつくか篝火を消すと難を逃れられると伝えられています。

また、「やあやあ」と声を上げて泳いで近付き櫓で殴ったら海坊主が声を上げて痛がったという話もあります。

他にも海坊主は「煙草」が大の苦手らしく、煙草を吸うと煙を嫌がって姿を消すそうです。よほど受動喫煙が気になるデリケートな妖怪なのが分かります。

④「海坊主」の正体

海坊主の正体は「大波」「夜空に現れた入道雲」ではないかと言われていますが、個人的にはUMAの一種である「ヒトガタ」ではないかと推測しています。

ヒトガタは人によく似た姿をしていますが、頭部がクジラっぽさがあって伝承にある坊主頭です。しかも巨大なので海坊主感がどうしても拭えません。絶対に会いたくはないです。

参考元URL:

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E5%9D%8A%E4%B8%BB

ヒトガタ: https://youtu.be/d2gjj8CkuyM

十人十色、鬼も色々…「鬼」について

①「鬼」とは

日本中に様々な伝承が残る妖怪で、人型で角が生えた頭と逞しい肉体を持っています。

その強さや大きさから「鬼に金棒」等の諺ができたり「オニヤンマ」等の大きな生き物の名前にあてがわれる事もあり、日本の妖怪の中では最もポピュラーな妖怪です。

②「鬼」の伝承

鬼は虎皮の腰布を身に付け、頭に角を生やし、ちりぢりの髪と鋭い爪と牙、逞しい人型の体を持つ姿で描かれています。また、その体色によって赤鬼、青鬼等と呼び分けられる事もあります。

鬼は人を喰らう等の害を為す話が多く、特に地獄では閻魔大王に仕え、亡者達に責め苦する「獄卒」という鬼もいます。人間界に現れて人さらいをする話もあり、人々の恐怖の対象になっていました。

しかし、人を守る事もあったため地域によっては神として祀られている所もあります。

③「鬼」の物語

鬼はあまりに多くの伝承があるため、ここでは「一条戻橋」の鬼の物語をご紹介させていただきます。

「平家物語」には「源頼光」に仕える四天王の一人に「渡辺綱」という勇猛な武士の話が綴られているのです。

ある日の夜中、渡辺綱が戻橋のたもとを通りかかった時の事、橋にはとても美しい女性が立っており「夜更けで暗くて怖いから家まで送っていただけませんか?」と頼んできたそうです。

渡辺綱は「こんな夜更けに女性が一人で?」と疑問に思いながらも女性を馬に乗せてあげたところ、女性は忽ち恐ろしい鬼に姿を変えて襲いかかってきました。

渡辺綱は咄嗟の判断で鬼の腕を切り落とし、大事には至らなかったようです。その腕は持ち帰って屋敷に置いていたそうですが、鬼が彼の義母に化け、屋敷への侵入を許したため腕は取り返されてしまったとされています。

また、この鬼は陰陽師・安倍晴明の式神という説もあり、元々屋敷で使っていたものの、奥様に「顔が怖い」という理由で嫌がられてしまったため一条戻橋に隠すように置いていたそうです。

これが本当だとしたら大分厄介なものを置いていった事になります。最優陰陽師なのだから、せめて躾くらいはできなかったのかと考えてしまいます。

④「鬼」が苦手な物

人に害を為す鬼ですが、意外な物で撃退できてしまう妖怪でもあります。

臭いがキツイ物、尖っている物、イワシを焼く時の煙が嫌いとされており、ヒイラギの葉とイワシを使った「柊鰯」を節分の日に玄関先に飾る事で鬼を撃退したそうです。

また、節分の豆まき自体は平安時代に宮中で行われた「追儺」「鬼遣」という行事であり、一年の変わり目でもあるこの日に鬼が悪さをすると考えられていたため、悪い鬼を祓いつつ古い年を送り、新しい年の良い気を呼び込むために行われたとされています。

ちなみに豆は「魔を滅する」に通じ、五穀の中でも米と豆は神聖な力が宿ると考えられていたからだそうです。

⑤「鬼」の正体

様々な伝承が残る鬼ですが、「鬼」自体は「死者の魂」を意味しており、「隠(オヌ)」から来ているという説もあります。

そのため満たされぬ飢餓に苦しむ亡者の魂を「餓鬼」と呼んでいます。

様々な魂が様々な鬼な訳ですから、良い鬼と悪い鬼がいても間違いはなさそうです。

参考元URL:

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%AC%BC

https://www.yoritomo-japan.com/nara-kyoto/itijyo-modoribasi-tuna.html

https://www.digistyle-kyoto.com/magazine/10861

めっちゃ足早い!「鬼婆」について

①「鬼婆」とは

日本昔話等でも知られる女性の鬼の事です。「鬼女」は若い女性の姿ですが、老婆の姿を取るものは鬼婆と呼ばれます

②「鬼婆」の伝承

「山姥」と同一視される事もある妖怪で基本的に人間に害を為す存在であり、妊婦や子供、ひいては山に迷い混んできた旅人を襲って食べてしまうと伝えられています。

③「鬼婆」の物語

鬼婆にまつわる物語は幾つかありますが、ここでは福島県二本松市に伝わる「黒塚」の話をご紹介させていただきます。

726年頃のお話です。今でいう和歌山県から「東光坊祐慶」というお坊さんが東北の「安達ヶ原」を旅していました。

しかし、旅の途中で日が暮れてしまったので近くにあった岩屋に泊めていただけないかとお願いする事にしました。

その岩屋には老婆が一人で住んでおり、お坊さんの宿泊を快諾してくれたのです。

岩屋に招き入れてくれた老婆は「薪が足りなくなってしまったので今から取りに行ってきます。その間、決して奥の部屋だけは見ないようにしてください。」と言って岩屋を出ていきました。

しかし、「ダメ」と言われたらやってみたいのが人の心理、このお坊さんも好奇心に負けて奥の部屋を覗いてしまいます。

覗いて見ると、その中は大量の人骨で溢れかえっていたのです。恐怖と驚愕の中、お坊さんは「安達ヶ原には旅人を襲って貪り喰らう鬼婆」の噂を思い出し、急いで岩屋から逃げ出しました。

しばらくして戻って来た老婆はお坊さんの不在に気付いて怒り、恐ろしい鬼婆の姿をさらけ出して猛追します。

追い付かれそうになったお坊さんは、荷物の中から「如意輪観世音菩薩」の像を取り出して必死にお経を唱えました。

すると菩薩像は空に舞い上がったかと思うと目映い光を放ちながら破魔の白真弓と金剛の矢をもって鬼婆を仕留めてくれたのでした。

死んだ鬼婆は観世音菩薩の導きによって成仏したため呪いが残る事はありませんでしたが、お坊さんは阿武隈川のほとりに塚を作ってこの鬼婆を葬ったため、この地域は「黒塚」と呼ばれるようになったと語られています。

黒塚の話は「能」でも演目の題材とされており、とても有名な演目の一つです。

④「鬼婆」の正体

旅人を喰らう鬼婆ですが、非常に強い憎しみや怒りによって鬼になってしまった女性と言われています。

そうだとすれば、人を殺して食べてしまう程膨れ上がってしまった負の念の原因も気になってしまいます。裏切られ、奪われ、不条理に苛まれた結果狂ってしまったのであれば鬼婆も可哀想な妖怪なのかも知れません。

また、現代では性格が悪かったり粗暴だったりする女性の事を指す言葉にもなっていますので、「鬼」にならないように中身の方も省みる必要がありそうです。

参考元URL:

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E5%A1%9A#%E5%8F%B2%E8%B7%A1%E3%83%BB%E3%81%9D%E3%81%AE%E4%BB%96

https://dic.pixiv.net/a/%E9%AC%BC%E5%A9%86

満たされない飢餓の責め苦!「餓鬼」について

①「餓鬼」とは

日本の妖怪と言うよりは仏教の中で語られる悪鬼の一種です。生前の行いにより餓鬼道に落ちた魂が餓鬼になるとも伝えられており、常に飢餓に苦しんでいるとされています。

②「餓鬼」の伝承

餓鬼は常に渇きと飢えに苦しみ続けている悪鬼です。その理由は手にした食べ物や飲み物は全て灰になるか蒸発してしまい、一切口にする事ができないためと伝えられています。

そんな餓鬼ですが「無威徳鬼」と「有威徳鬼」があり、有威徳鬼は餓鬼でありながらある程度の幸福を得られるそうです。

③「餓鬼」の物語

餓鬼は地獄に大量に蔓延っている存在でもあり、その種類も多く、餓鬼になるに至った罪も様々です。

一般的に有名な餓鬼は「無財餓鬼」と呼ばれており、飲食ができず常に飢餓に苦しみ、施餓鬼供養された物しか口にする事はできないとされています。

「少財餓鬼」は血液や膿等の不浄な物、「多財餓鬼」は人が食べ残した物や施された物を食べる事が赦されていますが心が満たされる事は無いそうです。

また、「悪鬼羅刹の如く」と言う言葉の中にある「羅刹」も細分化された餓鬼の一つです。

生き物を殺して大宴会をしたり、僅かな食料を高額で売るといった罪を犯した者がなると伝えられおり、四つ辻で狂気に陥れた人間を襲って喰らう他、インドでは「ラクシャーサ」と呼ばれ恐れられています。

④「餓鬼」の正体

餓鬼の正体は言ってしまえば罪を犯した人の魂です。その魂が餓鬼道に落ちてしまった事で餓鬼になってしまいます。

罪の種類はかなり多いので割愛しましたが、人によっては無意識にやってしまってるかも知れない物も罪に含まれているため「誰でも成りうる鬼」と言えます。

参考元URL:

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%A4%93%E9%AC%BC

参考資料:妖怪事典

リアル泥棒猫!「火車」について

①「火車」とは

日本各地に伝承が残っている妖怪で、墓地や葬儀中に死体を奪う妖怪とされています。

その死体は生前に悪行をした者であると言われていますが、特に拘り無く持っていく話もあります。

②「火車」の伝承

火車は死体を奪いに来る妖怪として広く知られており、地域によってはその近縁種とも考えられる妖怪もいます。

火車が住むとされる地域で葬儀をする場合は火車に死体を奪われないようにするため葬儀を2回に分けて行い、1回目は棺に石を詰める事でそれを防いだそうです。

他にも棺の上に剃刀を置く、出棺前に「火車には食わせん」あるいは「バクには食わせん」と2回唱える、和楽器の「妙八」を叩く事で火車による被害を防げるとされています。

③「火車」の物語

火車は古典にも登場しており、作品によっては雷神のような姿で現れた事も記されています。

しかし、「新著聞集」によると増上寺の音誉上人が火車に迎えられたと言う話があります。これは「来世を信じるか否かで火車の姿が違って見える」ためで、この話では火車は極楽浄土からの使者として捉えられています。

④「火車」の正体

死体を奪う火車ですが、その正体は長命な猫が変化したものとされています。特に猫又と同一視される事もあり、有力な猫又は死霊を操る事ができるという伝承もあります。これは火車が死体を奪う特徴に近い物があります。

最近では某アクションゲームに登場した事もあり、こちらは長髪でグラマラスな美女が荷車の車輪部分に両足を乗せた姿をしています。

そのグラフィックから人気が高いそうですが、現代にまだ火車がいたら「望まれた姿」で死体を奪いに来そうです。

参考元URL:

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E8%BB%8A_(%E5%A6%96%E6%80%AA)

https://dic.pixiv.net/a/%E7%81%AB%E8%BB%8A

怨念とカルシウムたっぷり!「がしゃどくろ」について

①「がしゃどくろ」とは

戦や旅路で無念の死を遂げた者や埋葬されなかった死者の強い怨念や骨が集まって生まれた巨大な骸骨姿の妖怪です。

②「がしゃどくろ」の伝承

がしゃどくろは強い怨念の集合体であり、その怨念は人を見つけると猛然と襲いかかって握り潰したり食い殺してしまう程とされています。

この時のがしゃどくろの体からは、自らを形成する多くの骨が動くため「ガシャガシャ」と鳴ると伝えられています。

③「がしゃどくろ」の物語

実はこの妖怪は昭和中期に作られた妖怪と言われており、現代に伝わる姿は浮世絵師・歌川国芳の作品「相馬の古内裏」に描かれる巨大な骸骨がモデルとされています。

この作品は「善知安方忠義伝」という本が題材となっており、その中で「瀧夜叉姫」が骸骨の妖怪を大量にけしかけるシーンを一体の巨大骸骨にして描く事で見る者に絶望や恐怖を掻き立てます。

④「がしゃどくろ」の正体

がしゃどくろの正体は無念の死を遂げたり野垂れ死んだ者、埋葬されなかった者達の強い怨念とされています。

物語の中で瀧夜叉姫が使役した骸骨の妖怪ががしゃどくろであれば、大きくは無くても数は多い、聖書に語られる「我、多数なり(レギオン)」に近い存在と考えられます。

参考元URL:

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8C%E3%81%97%E3%82%83%E3%81%A9%E3%81%8F%E3%82%8D

https://intojapanwaraku.com/culture/10655/

参考資料:決定版 日本妖怪大全妖怪・あの世・神様

「からかさ(小僧)」について

①「からかさ小僧」とは

その名の通り傘の妖怪です。他にも「からかさお化け」「お化け傘」等の呼び名を持っています。

②「からかさ小僧」の伝承

主に一つ目と長い舌、一本足を持つ傘の姿で描かれていますが、中には二本足で体がすっぽりと閉じた傘で覆われた姿で描かれる事もあります。

③「からかさ小僧」の物語

からかさ小僧は知名度は高いですが、物語はあまり伝わっていません。

しかし、奈良県の興福寺に現れる妖怪の一体とされており、「三之巻第一茶碗児の化物」という話の中で「東花坊のからかさ」と表記されています。

④「からかさ小僧」の正体

からかさ小僧は創作妖怪という説が根強いですが、個人的には付喪神の一種ではないかと考えています。古い傘に魂が宿り、昔のように構って欲しくて化けたのかも知れません。

余談ですが、某一狩りゲームにはからかさお化けをモデルにしたモンスターが登場しています。個人的には「ヒッポウ」の印象が強いですが、気になる方は是非一度見てみてください。

参考元URL:

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%8B%E3%81%95%E5%B0%8F%E5%83%A7

参考資料:妖怪事典

超有名妖怪!「河童」について

①「河童」とは

「河太郎」とも呼ばれ、その知名度は鬼や天狗と同じくらい高い妖怪です。頭に皿があり、清らかな水が溜まっているとされています。

②「河童」の伝承

河童は「童」の字の通り、子供のような大きさでシャンプーハットのような髪型、肌の色は赤〜緑色、背中には亀の甲羅がある姿が有名です。

他にもカワウソのような姿や猿に似た姿で描かれる事もあります。

イタズラ好きな性格ですが土木作業を手伝ったり相撲を取ったりと無害な一面が知られていますが、中には「尻子玉」を抜いてしまう、人間の内臓を好むといった恐ろしい一面も兼ね備えています。

また、秋が深まると河童は川から上がって山に籠るという話もあり、その場合は「ヤマワロ」と呼びます。

③「河童」の物語

河童には非常に多くの物語がありますが、ここではマイナーな物語をご紹介させていただきます。

これは私が幼い頃に聞いた昔話です。私の住んでいた地域の川には昔、河童が住んでおり、性格が悪辣で川や海に潜った漁師達の尻子玉を抜いて殺していたそうです。

「このままでは漁ができない」と困ったある漁師は、ふんどしの中に石を詰めて潜り漁をしました。

すると案の定河童が来て、いつも通り尻子玉を抜こうとしましたがふんどしの下には石があるので抜く事ができず、「なんて硬い尻なんだ」と驚いたそうです。

漁を終えた漁師は、その河童に持参していた酒を飲ませて酔わせると、高揚した河童はあらゆる質問に答えました。

そして食べ物の話になると「別に嫌いな物は無いけど“黄身粥”だけは食べれない」と返答したそうです。それを聞いた漁師は奥様に大量の黄身粥を作らせ、酔ってまともな判断ができなくなった河童に振る舞いました。

「食べれない」と言った黄身粥を平らげた河童はお腹を擦りながら「眠い、眠い」と言いながら川に戻って行ったそうです。

翌日、漁師達は漁のために川に出ると奇妙な物を見つけます。それは昨日黄身粥を食べた河童であり、食べれない物を食べてしまったため、川の中で死んでしまったのでした。

それ以降、漁師達は川でも海でも安心して漁ができるようになった、というお話です。

④「河童」の正体

二面性のある河童ですが、その正体は水神の一種、あるいは水神が妖怪となったものと言われています。

これには河童の大好物とされる「キュウリ」も深く関わっており、初なりの野菜は水神への供物として欠かせなかったためです。

さらに相撲好きな理由も水神信仰に関わりがあり、相撲自体が水神へ捧げられる神事だったからという説もあります。

かなりマイナーではありますが、私が幼い頃に聞いた河童については卵アレルギーだったのではないかと今では考えています。

アレルギーは非常に危険なので「嫌い」ではなく「食べれない」と答えたのかと思うと複雑な気分です。

参考元URL:

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E7%AB%A5

https://intojapanwaraku.com/culture/11103/

 

 

 

 

「生邪魔」とは

沖縄県に伝わる生霊の一種で「イチジャマ」と呼ばれています。非常に強い怨みや憎しみを持つ危険な存在です。

②「生邪魔」の伝承

生邪魔は憎悪を持った相手を意識的に呪い、不幸に陥れる危険な生き霊です。また、生邪魔を呪術として利用する事ができる一族も生邪魔と呼ばれ、その殆どが女性とも伝えられています。

③「生邪魔」の物語

生邪魔は呪う相手に贈り物をし、その内容はニンニクや芭蕉等の農作物であるとされています。それを受け取ってしまうと生邪魔に取り憑かれてしまい、不幸が続いたり病気になって死んでしまうそうです。

生邪魔による呪いを解くには「ユタ」という巫女のような存在にお願いをする他、生邪魔の元の人間の悪口を言いまくる、儀礼的に汚物を投げて汚す等の方法があります。

④「生邪魔」の正体

憎い相手を呪う危険な生き霊ですが、生邪魔は相手の持ち物が羨ましいあまりに嫉妬して呪いをかけるそうです。

自分が「何もしていない」「大した物は持っていない」と思っていても、相手にとってはどうなのかなんて分かりません。生邪魔による理不尽な呪いに対する解呪方法を覚えていても損はなさそうです。

参考元URL:

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E9%82%AA%E9%AD%94

参考文献:妖怪事典

「一目入道」について

①「一目入道」とは

「イチモクニュウドウ」の他に「一つ目入道」とも呼ばれる妖怪で、新潟県佐渡市にある「加茂湖」に潜んでいると伝えられています。

②「一目入道」の伝承

一目入道は頭部に大きな目玉が一つある妖怪であり、加茂湖の主でもあります。好奇心が強く、湖の近くに繋がれていた馬を見つけて乗って遊ぶ事もある他、約束を守る義理堅い性格であるとされています。

③「一目入道」の物語

昔、湖の近くに馬が繋がれていたのを見つけた一目入道が好奇心から馬に乗って遊んだ事があったそうです。

しばらくすると馬主が現れ、陸地が苦手な一目入道は捕まってしまいます。そして「これからはあなたに毎晩瑠璃の鉤で捕まえたたくさんの魚を献上しますので、どうかお許し下さい。ですが、魚を取るのに必要なので、鉤だけは返して下さい。」と言いました。馬主はその提案を面白がって約束を受け入れました。

それから毎朝湖に行くと、馬主に取れたての魚が届くようになり、馬主も約束通り鉤を湖に返しました。この不思議な関係は何年も続いたのですが、ある年馬主は悪い事を考えて約束を破り、瑠璃の鉤を湖に返さず魚ごと持ち帰ってしまいました。

約束を破られた入道は怒って毎年正月の15日には馬主の家を襲うようになってしまい、馬主は毎晩念仏を唱えて被害を避けようとしました。入道の祟りが鎮まってきた頃、馬主は観音堂を建立し、その白毫に入道の瑠璃の鉤をはめたと伝えられています。

伝承は様々伝えられていますが、約束を破られる話は共通しており、馬主の末路もそれぞれ違います。別の話では馬主が約束を破り、観音堂に鉤をはめた事が原因になっていると伝えられていたりします。

④「一目入道」の正体

加茂湖の主と言われる妖怪であり、その姿は描く人によっては一つ目のカッパ、または半魚人のような姿をしています。

もし、妖怪でなかったとすれば、私は湖で漁業を営んでいた漁師ではないかと思います。自分の非を詫びたのに約束を破られ、仕事道具まで奪われたら誰だって頭に来ると思います。

参考元URL:

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E7%9B%AE%E5%85%A5%E9%81%93

https://dic.pixiv.net/a/%E4%B8%80%E7%9B%AE%E5%85%A5%E9%81%93

http://www5e.biglobe.ne.jp/~c-panda/28907647/

「一目連」について

①「一目連」とは

妖怪と思いきや風を司る神の一柱です。鍛治を司る「天目一箇神(アメノマヒトツノカミ)」と同一視される事もあります。

②「一目連」の伝承

一目連の姿は片目が潰れている隻眼の龍神であると伝えられており、かつては伊勢湾で海難防止祈願や雨乞いが行われていたそうです。また、一目連は度々神社から出ては暴風をもたらす神として畏怖されています。

③「一目連」の物語

一目連の物語はあまり伝えられていませんが、一目連を祀る神社には扉がないそうです。

これは、一目連が神としての威光を好きなだけ発揮できるようにするため配慮した作りとされています。

④「一目連」の正体

隻眼の龍神というのが一目連の正体とされていますが、一説には伊勢湾の船乗り達が、近くにある多度山を見て天気の変化を予想する様子を神格化したものと言われています。

参考元URL:

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%9B%AE%E4%B8%80%E7%AE%87%E7%A5%9E

https://myth.maji.asia/amp/item_itimokuren.html

「一貫小僧」について

①「一貫小僧」とは

岡山県真庭市の北部にある「蒜山高原」に現れるとされる小僧の姿をした妖怪です。

②「一貫小僧」の伝承

手に数珠を持ち、袈裟を来た小僧の姿で経文を唱えながら人の前に現れるとされています。声をかけたりすると消えてしまうため、妖怪の中では無害な存在です。

③「一貫小僧」の物語

一貫小僧の詳しい物語は殆どありませんが、出現場所である蒜山高原には「スイトン」という妖怪も現れると言われています。こちらは悪人の前にスーッと近付き、一本足でトンッと止まり、その悪人をバラバラにして食べてしまうと伝えられています。

④「一貫小僧」の正体

声をかけると消えてしまう無害な妖怪ですが、お寺のまだまだ幼い坊主が高原で何らかの理由で死んでしまい、その無念のあまり妖怪化してしまった存在なのではと思っています。経を唱えるのは妖怪仲間のスイトンによって殺された悪人のためなのかも知れません。

参考元URL:

http://youkaitama.seesaa.net/article/282163264.html

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%92%9C%E5%B1%B1%E9%AB%98%E5%8E%9F#:~:text=%E8%92%9C%E5%B1%B1%E9%AB%98%E5%8E%9F%E3%81%AB%E3%81%AF%E3%80%8C%E4%B8%80%E8%B2%AB,%E3%81%A8%E5%A7%BF%E3%82%92%E6%B6%88%E3%81%99%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E3%80%82

「縊鬼 イツキ」について

①「縊鬼 イツキ」とは

中国、日本で語られる妖怪です。人に取り憑いて首吊り自殺をさせるため危険な妖怪とされています。

②「縊鬼 イツキ」の伝承

日本で語られている伝承では、縊鬼は水死者が化けたものとされています。縊鬼に取り憑かれてしまうと自ら川や海に飛び込んだり、首を吊ったりと自殺衝動に駆られてしまうと伝えられています。

③「縊鬼 イツキ」の物語

「反古のうらがき」という書物には縊鬼に取り憑かれた人の話が記されています。

昔、江戸の麹町という所で組頭が酒宴を開きました。そこにはもう一人参加するはずだったのですが、なかなか来ません。ようやく酒宴にやって来たその人は「急用ができたので断りに来た」と言いましたが、組頭は問いただしました。

するとその人は「首を吊る約束をしたんだ」と言って帰ろうとしたため、組頭は彼を引き留め、酒を飲ませて落ち着かせたそうです。

しかし、しばらくすると喰違御門で首吊り自殺が起きたという報告が届きます。これを聞いた組頭は「取り憑いていた人を殺せなかった縊鬼が別の人に取り憑いて殺した」と考え、今なら取り憑かれていないはずの酒宴の男性に質問をしました。

すると彼は「喰違御門に来たら誰かに首を吊るように言われた。酒宴には急用ができたと言って参加を断って来いとも言われた」と語ったのです。最後に組頭は「今でも首を吊りたいか?」と聞くと、その人は「とても怖い」と言いながら首を吊る素振りを見せたと書物の中で語られています。

④「縊鬼 イツキ」の正体

縊鬼は水死者の魂が化けたものとされています。しかし、取り憑いた人を次々と自殺に導く悪質な性格から、死ぬ間際にかなりの悪念を持っていたと思われます。

現代でも自殺の多さは問題になっており、元気いっぱいだった人が自殺していた、という事もあるようです。もしかしたら、それも縊鬼によるものかも知れません。

参考元URL:

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%B8%8A%E9%AC%BC

https://dic.pixiv.net/a/%E7%B8%8A%E9%AC%BC

参考書籍:妖怪大図鑑

「イッシャ」について

①「イッシャ」とは

奄美群島に伝わる妖怪、あるいは精霊の一種です。見た目は子供ですが、ボロボロの傘と短い簑を身に付け、トウモロコシに似た尻尾があると伝えられています。

②「イッシャ」の伝承

奄美群島の徳之島にある「犬田布岳」から降りてくるとされています。理由は不明ですが、イッシャは片足を痛めているため、もう片方の足で跳び跳ねるように移動するそうです。

人を化かす事があり、海辺に誘って海水を飲ませたり、山で遭難させると伝えられています。

③「イッシャ」の物語

イッシャは人間に出会うと「お前は誰だ?」と聞いてくるそうです。この時にトウモロコシを尻に付けて尻尾のように振って見せたりイッシャの真似をすると被害に遭わないとされています。

また、この状態でイッシャのご機嫌を取ると仕事を手伝ってくれると言われています。漁を手伝わせると、イッシャは魚の片目だけ食べてしまうので、取れた魚は全て片目になってしまうそうです。

④「イッシャ」の正体

イッシャは沖縄の妖怪「キジムナー」の一種か、地域によって違う呼び方をされているだけと考えられています。

キジムナーの弟であるアカジンも片足が悪いとされているため、個人的にはかなり有力な説だと思っています。

参考元URL:

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A3

https://myth.maji.asia/amp/item_issya.html

参考書籍:妖怪事典

「一寸法師」について

①「一寸法師」とは

「御伽草子」で有名な3cm程しかない大きさの男性です。子供のいない老夫婦が神に祈った事で授かったとされています。

②「一寸法師」の伝承

一寸法師という名前は、何年経っても大きさが変わらないため、両親が名付けた名前です。

武士になるために京の都へ向かいますが、その際にお椀の舟と箸の櫂で川を下り、刀と鞘の代わりに針と麦わらを身に付けています。

③「一寸法師」の物語

一寸法師は京の立派なお屋敷で働きますが、その娘が鬼に拐われた時、わざと鬼に飲まれて体内から針で刺しまくった事で鬼を退治し「打ち手の小槌」を手に入れます。

その後、娘が打ち手の小槌を使った事で182cmの身長になった一寸法師は、その娘と結ばれ幸せに暮らしたと日本昔話で語られています。

④「一寸法師」の正体

小さな英雄・一寸法師ですが、日本神話に登場する「スクナヒコナ」という神ではないかと考えられています。スクナヒコナは大国主の参謀役でもあった賢い神であり、その大きさは一寸法師と殆ど変わらないそうです。

参考元URL:

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E5%AF%B8%E6%B3%95%E5%B8%AB

スクナヒコナ:

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%93%E3%82%B3%E3%83%8A

「一反木綿」について

①「一反木綿」とは

鹿児島県肝属郡肝付町に伝わる布の妖怪です。10m程の長さの木綿布のような姿をしており、夕暮れ時になるとヒラヒラと飛び回ると言われています。余談ですが、ゲゲゲの鬼太郎がよく乗っている妖怪でもあります。

②「一反木綿」の伝承

夕暮れ時になると飛び回り、長い体を使って人を襲う妖怪と伝えられており、長い体を首や顔に巻き付けて窒息させたり、人を巻き付けたまま飛び去ったりするそうです。

③「一反木綿」の物語

昔、家路を急ぐある男がいたそうです。その時間帯は夜であり、明かりの少ない道を進んでいると、突然布のようなものが男に襲い掛かりました。

男は驚きながらも冷静に持っていた脇差しで布を切り裂いたのですが、既に布は消えて去っており、代わりに辺りには血が飛び散っていたという話が残っています。

④「一反木綿」の正体

一反木綿が現れる地域では、かつて土葬の習慣があり、木綿の旗を立てて弔っていたそうです。

この木綿布が風に乗って飛んでいく様子が妖怪化されて一反木綿が生まれたという説があります。

また、最近「一反木綿らしき物」を収めた動画もあるため、妖怪の中でもかなり存在感が出ています。

参考元URL:

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E5%8F%8D%E6%9C%A8%E7%B6%BF

「飯綱」について

①「飯綱」とは

「イヅナ」「イイヅナ」とも呼ばれるイタチやキツネの姿をした妖怪です。キツネの姿の場合は「管狐」と呼ばれる事もあります。

余談ですが、現存するイタチ科の動物にもイイヅナがおり、可愛い見た目で人気を集めています。

②「飯綱」の伝承

飯綱は邪法、あるいは憑き物の一種とされています。呪術師の中には飯綱を使役した話もあるようです。

飯綱はどんどん数を殖やしていくため、使役する呪術師達は弟子に分けたり川に流して数を抑制するのですが、呪術に使う程危険な存在であるため処分はかなり慎重に行っていると伝えられています。

③「飯綱」の物語

飯綱の危険性は「飯縄権現」という神にまつわっているという話があります。

飯縄権現はインド神話に登場する「ダキニ天」を祀っており、この神は稲荷の神としても有名です。豊作や願望成就等様々なご利益がありますが、元々気性が荒く、邪法も使う女神のため、それにまつわる飯綱も邪法の一種として考えられています。

④「飯綱」の正体

飯綱はイタチの姿をした憑き物であり、邪法です。取り憑かれれば正気を失ってしまいます。

イタチの姿なのでフェレットやオコジョのように可愛らしい姿をしているのかも知れませんが、危険な妖怪である事に変わりないため、安易に手を出すべきではありません。

参考元URL:

https://youkaiwikizukan.hatenablog.com/entry/2015/03/25/134819

https://amenofuchikoma-net.cdn.ampproject.org/v/s/amenofuchikoma.net/2020/06/01/youkai-kudakitune/?amp_js_v=a6&amp_gsa=1&usqp=mq331AQHKAFQArABIA%3D%3D#aoh=16222820095052&referrer=https%3A%2F%2Fwww.google.com&amp_tf=%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%B9%3A%20%251%24s&ampshare=https%3A%2F%2Famenofuchikoma.net%2F2020%2F06%2F01%2Fyoukai-kudakitune%2F

 

 

日本の妖怪についてのまとめ

 

 

種類もいっぱい 「一本足」について

①「一本足」とは

一本足は妖怪の中でも多岐にわたる妖怪であり、唐笠小僧や一本だたらの事を指す事が多いです。ここでご紹介する一本足は奈良県吉野郡上北山村に伝わる妖怪です。

②「一本足」の伝承

一本足は馬でしたが、ある日を境に人食いを始め、全く手がつけられなくなってしまいました。しかし、家臣の一人が鉄砲を用いて見事倒したという伝承が残っています。

③「一本足」の物語

一本足はある武人の馬でした。しかし、主人がいなくなってから人を襲って食らうようになってしまい、まさに物の怪と化してしまったのです。

そして、この血に飢えた哀れな馬に家臣の一人は鉄砲を用いて戦いを挑みました。その戦いはとても激しいものでしたが、ついにその馬を弾丸が撃ち抜き、一本足を追い払う事に成功したそうです。

その後、撃たれた一本足は熊野の湯へ養生へ向かい、姿を消してしまいました。また、その日から一本足を撃ち抜いた鉄砲は正月の何日かになると一本足との激闘を思い出して汗をかくようになった、という物語が残っています。

④「一本足」の正体

一本足の正体ですが、武将・源義経の馬であったという説があります。

義経と言えば、兄のために戦果を挙げたのにも関わらず、その兄によって非業の死を遂げた武将としても知られています。

もし本当に一本足が義経の馬ならば、大好きな主人を失った深い悲しみと憎しみ、怒りによって我を失い人食いの獣となってしまったのかも知れません。

参考元URL:

https://www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/C2910103-000.html

https://www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/1520039.html

 

 

出現は期間限定!?「一本だたら 」について

①「一本だたら」とは

日本各地に伝承が残っている大きな一つ目を持つ一本足の妖怪です。

②「一本だたら」の伝承

一本だたらの伝承は各地にあり、それぞれに違いがあります。

有名な伝承では、和歌山県と奈良県の境にある「果無山脈」で12月20日に現れるとされています。

一本だたらの姿は大きな目玉のある円柱のような姿をしており、その一本足で宙返りをしながら雪道に大きな足跡を残し、人に害は無いそうです。

また、奈良県伯母ヶ峰山に伝わる一本だたらは人を襲っていたとされており、「猪笹王」が人に鉄砲で撃たれ、その魂が化けたものと言われています。こちらも12月20日に現れるされており、ちょっとした理由があるようです。

③「一本だたら」の物語

ここでは「猪笹王」が化けた物語をご紹介させていただきます。

昔、伯母ヶ峰山には「猪笹王」と呼ばれる巨大な猪がいました。猪笹王の霊力は凄まじく、その背中には熊笹が生えていたそうです。

この霊獣を的場兵庫という鉄砲撃ちが倒しましたが、猪笹王の魂は野武士の姿に化け、湯治に行きました。その後、伯母ヶ峰山に戻った猪笹王の魂は一本だたらへと姿を変えて人々を襲うようになってしまったのです。

一本だたらによる凶行は丹誠上人という僧侶によって封印される事で終わりましたが、その際に「封印されるけど12月20日だけは自由にして欲しい」という一本だたらからの要求を飲んだ事で12月20日は封印が解かれ、一本だたらが自由になるためこの日は山に入ってはならない日にしていると伝えられています。

④「一本だたら」の正体

一本足の鬼とも言われる一本だたらですが、その正体は鉄を鍛える「鍜冶職人」と言われています。

元々「だたら」は「鍜冶」を意味しており、熱い鉄を打ち、高熱を発する炉の側で仕事をする鍜冶職人達は片目が熱により失明し、片足で炉に風を起こす鞴を踏むためもう片方の足が貧相になってしまうため、一つ目と一本足の妖怪に見えたとされています。

一本だたらはゲームでも活躍しており、ある作品では自ら「壁職人」を名乗り、至るところに壁を作って主人公を悩ませますが、ちょっとマヌケな感じとマッドな口調から密かに人気の妖怪となっています。

参考URL:

https://www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/C2910103-000.html

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E6%9C%AC%E3%81%A0%E3%81%9F%E3%82%89

名前が読みにくい!「 以津真天」について

①「以津真天」とは

とても読みにくいですが「イツマデ」と読みます。

鳥の体に人間の顔、鋭い嘴、蛇の尾を持つ鳥の妖怪で、「イツマデ、イツマデ」と鳴くためこの名が付きました。

②「以津真天」の伝承

以津真天は「太平記」に記されており、1334年の秋頃に流行り病によってたくさんの人々が亡くなった際に「紫宸殿」に現れ「イツマデ…イツマデ…」と鳴くので人々はこれを恐れたと記されています。

③「以津真天」の物語

以津真天を恐れた貴人達は、かつて源頼政が成し遂げた「鵺退治」にちなんで弓矢の名手に以津真天を退治させる事にしました。

この不気味な怪鳥の退治を依頼されたのは「隠岐次郎左衛門広有」という方で、鏑矢を用いて見事に以津真天を退治しました。

射殺された以津真天の大きさは翼だけでも4.6mあったとされており、人間の顔に鋭い嘴、蛇の尾という奇怪な姿をしていたそうです。

④「以津真天」の正体

巨大な怪鳥ではありますが、以津真天の正体は流行り病や飢餓等によって亡くなった人々の魂が化けたものと言われています。

当時、流行り病や飢餓で亡くなった人々の死体は簡単な供養や埋葬をされる事なくその場に放置されていたそうです。

供養すらされない自らを哀れみ、その魂は姿を変えて生者の前に現れては「イツマデ(私の体を捨て置くのか)」「イツマデモ(私達を供養せず放置しないで)」と鳴いているのです。

参考元URL:

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%A5%E6%B4%A5%E7%9C%9F%E5%A4%A9

参考資料:日本妖怪大事典、図説日本妖怪大全

怖いけど親しまれている妖怪 「イデモチ」について

①「イデモチ」とは

熊本県球磨郡に伝わる水にまつわる妖怪です。

②「イデモチ」の伝承

「さかま淵」という淵に棲んでおり、さかま淵の中には障子が立てられていると伝えられています。

③「イデモチ」の物語

イデモチの伝説は少ないですが、イデモチの腹部には吸盤があり、これを使って人間を捕まえて殺してしまうと言われています。

④「イデモチ」の正体

伝承や姿があまり伝わっていませんが、私は「ヤツメウナギの仲間」が妖怪として見られたものだと思っています。

ヤツメウナギは「無顎類」という特殊なグループに含まれる魚類であり、顎が無い代わりに鋭い牙が幾重にも並んだ吸盤状の口があります。これを使って獲物に食らいつき体液を貪るのです。

イデモチが吸盤を使って人間を捕まえるという性質からヤツメウナギを想像しましたが、そのおぞましい口が如何なる物か気になる方は是非検索してみてください。

また、余談ですが熊本県では「妖怪イデモチ」という米焼酎も出しているので、マイナーなだけで意外と親しみ深い妖怪と考えられます。お酒好きな方は試してみても良いと思います。

参考元URL:

http://tyz-yokai.blog.jp/archives/1010654391.html

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%87%E3%83%A2%E3%83%81

常識を疑え!「糸取り狢」について

①「糸取り狢」とは

山梨県の鳳凰山に現れるとされる狢(アナグマやタヌキ)の妖怪です。

岩手県にも同様の妖怪の話が残っており、年老いた狢が化けたものと言われています。

②「糸取り狢」の伝承

老婆の姿を取り、行灯を携え糸車を回している姿が「糸取り」の由来です。

意外にも本体は老婆ではなく携えられている行灯の方であり、ある猟師が鳳凰山でこの妖怪に遭遇した際に老婆を撃ったが手応えが無く、行灯を撃つと叫び声を上げながら狢が飛び出してきたという伝承があります。

③「糸取り狢」の物語

岩手県西和賀町に伝わる話では、まだ「沢内村」と呼ばれていた頃に村に続く道に橋がかかっており、その袂に人知れず一軒の家が現れたそうです。

しかも、その家には化け物が出るという噂が流れたため、この化け物を弓矢の名手の侍が討伐に行きました。

家の中にいたのは糸車を回す老婆でしたが何度矢を放っても老婆はそれを素手で受け止めてしまい、討伐に行った侍は行方不明になってしまったのです。

その後も妖怪討伐のために侍達が名乗りを上げて行きましたが、誰一人として成し遂げられません。

とうとう残った侍は、弓矢に自信は無いけど書物に親しんでいた博識の侍だけになってしまいました。

侍を神隠ししている妖怪の討伐は気が進みませんが「将を射んとすればまず馬を射よ」という書物の言葉を思い出し、老婆に矢を放って相手の手が塞がっている内に携えられていた行灯を射抜いたのです。すると倒れた行灯から悲鳴が上がり明かりも消えていきました。

翌日、この侍が再び妖怪のねぐらに行くと家は無くなっており、代わりにそこにいたのは矢が刺さって息絶えた年老いた狸だったと伝えられています。

④「糸取り狢」の正体

糸取り狢の正体は年老いた狸やアナグマと言われています。古来より長く生きた動物は霊的な力を得て化け物になるという話も多く残っています。

この類はネコマタやセンリが有名ですが、糸取り狢も間違い無くその内の一体と思います。

糸取り狢の返り討ちに遭い行方不明の侍は、はてさて、一体どこに行ったのやら。

参考元URL:

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%B3%B8%E5%8F%96%E3%82%8A%E7%8B%A2

参考資料:妖怪事典

気難しい神様「井戸の神」について

①「井戸の神」とは

日本各地に伝承が残る水神の一種で、名前の通り井戸に祀られています。

②「井戸の神」の伝承

水神の中でも井戸の神は気性が荒く、礼節を欠いたと認識されると井戸の水を濁らせたり病気を振り撒いたとされています。

また、美男美女を好む事でも知られており、美しい召し使いに一目惚れをして井戸の中に連れていってしまうという伝承もあります。

③「井戸の神」の物語

井戸の神は気性が荒いため、その怒りに触れないように幾つかの禁忌があったり対策を講じられていました。

禁忌としては、「不必要な時に井戸を覗かない」「井戸の蓋の上を歩いてはいけない」「井戸の上に家を建てない」等があり、対策として「井戸に神棚を作って塩や酒を捧げる」「水神と書いた紙を貼る」「家を建てる場合はお祓いをして井筒を埋めてから」「水を汲む度に手を叩き、頭を下げて感謝する」等があります。

④「井戸の神」の正体

井戸の神は極稀に井戸から現れる事があり、その姿は巨大なナマズのような姿と言われています。

また、個人的には禁忌の中に井戸の蓋の上を歩いてはいけない等の転落防止のための注意とも取れるため、転落事故を水神の祟りに結びつけて生まれた話ではないかと考察しています。

どちらにせよ、井戸にイタズラはしない事です。

参考元URL:

http://youkaitama.seesaa.net/article/236541688.html

http://mizuki.sakaiminato.net/road/road_pages/yokai_gods/

https://www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/2363160.html

 

 

新手のドッキリ企画「糸引き娘」について

①「糸引き娘」とは

四国地方・徳島県鳴門市に伝わる女性の妖怪です。

②「糸引き娘」の伝承

糸引きの名が示す通り道端で糸車を回している妖怪で、その見た目は美しい容貌の若い娘だとされています。

しかし、見とれていると美しい娘の姿はみるみるうちに醜い老婆に変わり、大声を上げて笑って見とれていた人を驚かせるそうです。

③「糸引き娘」の物語

昔々、ある男が山に入ると山道の傍らで糸車を回す美しい娘を見つけました。本来ならあり得ない状況ですが、その娘があまりにも美しいため、男はつい見とれてしまいした。

すると突然娘の体はしわくちゃになり、艶やかな黒髪は白髪に変わって醜い老婆の姿になって大声で笑いながら姿を消したと言われています。

④「糸引き娘」の正体

詳しい正体は不明ですが、人を驚かして喜ぶ妖怪なので狸や狐等が化けたものではないかと思われます。

現代であれば特殊メイクで似たような事ができそうですが、急速な姿の変化なのでそこはやっぱり妖怪としか言いようがないです。

参考元URL:

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%B3%B8%E5%BC%95%E3%81%8D%E5%A8%98

http://yokaizukushi.webcrow.jp/itohikimusume.htm

余計な事するな!「いなだ貸せ 」について

①「いなだ貸せ」とは

東北地方・福島県の沿岸に現れる船幽霊の一種です。「いなだ」は魚の事ではなく船で使う「柄杓」の事を指しています。

②「いなだ貸せ」の伝承

いなだ貸せに遭うと「いなだ(柄杓)を貸せ」と言ってくるためこの名前で呼ばれています。

しかし、そのままいなだを渡してしまうと船にどんどん水を汲み入れられて沈没してしまうと伝えられています。

③「いなだ貸せ」の物語

いなだ貸せの詳しい物語は少ないですが、この被害を防ぐ方法があります。

それは「いなだをそのまま渡さず底に穴を開けてから渡す」というものです。妖怪であっても穴の開いたいなだでは水を汲めないため、沈没させられるのを防ぐ事ができるとされています。

④「いなだ貸せ」の正体

いなだ貸せは水難事故によって亡くなった人々の魂が化けたものと言われています。その深い無念は妖怪となり、自分達と同じ目ように水難事故に遭わせて仲間に引き込もうとしているそうです。

それだけ聞くとメンヘラ妖怪とも言えますが、その勧誘だけは絶対に断りましょう。

参考元URL:

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%88%B9%E5%B9%BD%E9%9C%8A#:~:text=%E5%90%84%E5%9C%B0%E3%81%AE%E8%88%B9%E5%B9%BD%E9%9C%8A,-%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%A0%E8%B2%B8%E3%81%9B%EF%BC%88%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%A0&text=%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%9C%8C%E6%B2%BF%E5%B2%B8%E3%80%82,%E6%B2%88%E6%B2%A1%E3%81%95%E3%81%9B%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%86%E3%80%82

https://sizyuukara-1979.hateblo.jp/entry/2020/03/30/185046

 

 

残酷なる呪法「犬神」について

①「犬神」とは

西日本で広く知られている犬の霊または妖怪です。一説には四国が犬神の本場と言われています。

②「犬神」の伝承

古来より人に取り憑くとされており、犬神に取り憑かれた人は「犬憑き」と呼ばれ、正気を失い獣のようになってしまう人に害を為す妖怪です。

四国が犬神の本場と呼ばれるのは四国には狐がいないからとされています。

また、かつては陰陽師が式神として使役する事もあったようです。

③「犬神」の物語

犬神は呪法として用いられる事があり、作り方も残酷でした。

まずは犬を首だけ地面から出るように埋め、しばらく餌を抜いて飢餓状態に追い込みます。

次に飢え死ぬ寸前の犬の前に餌を置きます。そして犬が餌を食べようと首を伸ばしきった瞬間にその首を刀等の刃物で一気に切り落とすのです。

この首は焼いて骨にし器に入れて祀る事で対象者を永久に呪う事ができるとされています。

他にも飢餓状態の犬の首を切り落とし、その首を十字路や道端に埋める事で人の往来を利用して呪力を増幅させてから呪法として用いる方法があります。

四国では「犬神持ち」という言葉もあり、犬神を作る事があった山伏や巫蠱の血筋の人は犬神を持つとされ、一時期は婚姻の時にかなり重要視される程恐れられていたようです。

④「犬神」の正体

犬神は憎い相手を呪うために殺された犬の霊です。呪法も死への恐怖や苦痛、人間への憎しみを抱いた犬神の逆恨みを利用する事で相手を呪い、狂わせてしまう恐ろしいものなのです。

参考元URL:

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%8A%AC%E7%A5%9E

参考資料:日本の妖怪

何か名前がカッコいい!「隠神刑部」について

①「隠神刑部」とは

愛媛県松山に伝わる狸の妖怪で、刑部狸と呼ばれる事もあります。808匹の狸達を従え、その頂点に君臨していた強力な妖力を持つ化け狸です。

②「隠神刑部」の伝承

隠神刑部は「久万山」にある古い岩屋を棲みかにしており、808匹の子分達と共に松山城を守り続けていました。その神通力は四国最強と称されている程です。また、子分の数から「八百八狸」という別名もあります。

しかし、「稲生物怪録」では宇佐八幡大菩薩から稲生武太夫が神杖を受け取りそれを使って隠神刑部を打ちのめして久万山に封印したと伝えられています。その洞窟は「山口霊神」として今でも残っています。

③「隠神刑部」の物語

隠神刑部は松山城主と深い縁があり、「刑部」も松山城城主の先祖から与えられたとされています。さらに強力な神通力を持つ事から城の家臣達や土地の人々からも大切にされ、厚く信仰されていました。

そんな隠神刑部ですが、松山城でのお家騒動が起こると謀反を起こした側に利用され、神通力と子分の狸達を使って怪異を成したと語られています。

④「隠神刑部」の正体

隠神刑部の正体は強力な神通力を持った化け狸です。土地神として祀られていた事からも彼の強さが分かります。

一方で松山城に仕え、調伏されるまで守り続ける忠誠心とプライドは目を見張るものがあります。

また、「ぬらりひょんの孫」というマンガにも隠神刑部は描かれていますので、気になる方は是非一度読んでみてください。

参考元URL:

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%A0%E7%A5%9E%E5%88%91%E9%83%A8

参考資料:日本全国妖怪スポット

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