「鬼婆」とは、日本昔話等でも知られる女性の鬼の事です。
「鬼女」は若い女性の姿ですが、老婆の姿を取るものは鬼婆と呼ばれます
「鬼婆」の伝承
「山姥」と同一視される事もある妖怪で基本的に人間に害を為す存在であり、妊婦や子供、ひいては山に迷い混んできた旅人を襲って食べてしまうと伝えられています。
「鬼婆」の物語
鬼婆にまつわる物語は幾つかありますが、ここでは福島県二本松市に伝わる「黒塚」の話をご紹介させていただきます。
726年頃のお話です。今でいう和歌山県から「東光坊祐慶」というお坊さんが東北の「安達ヶ原」を旅していました。
しかし、旅の途中で日が暮れてしまったので近くにあった岩屋に泊めていただけないかとお願いする事にしました。
その岩屋には老婆が一人で住んでおり、お坊さんの宿泊を快諾してくれたのです。
岩屋に招き入れてくれた老婆は「薪が足りなくなってしまったので今から取りに行ってきます。その間、決して奥の部屋だけは見ないようにしてください。」と言って岩屋を出ていきました。
しかし、「ダメ」と言われたらやってみたいのが人の心理、このお坊さんも好奇心に負けて奥の部屋を覗いてしまいます。
覗いて見ると、その中は大量の人骨で溢れかえっていたのです。恐怖と驚愕の中、お坊さんは「安達ヶ原には旅人を襲って貪り喰らう鬼婆」の噂を思い出し、急いで岩屋から逃げ出しました。
しばらくして戻って来た老婆はお坊さんの不在に気付いて怒り、恐ろしい鬼婆の姿をさらけ出して猛追します。
追い付かれそうになったお坊さんは、荷物の中から「如意輪観世音菩薩」の像を取り出して必死にお経を唱えました。
すると菩薩像は空に舞い上がったかと思うと目映い光を放ちながら破魔の白真弓と金剛の矢をもって鬼婆を仕留めてくれたのでした。
死んだ鬼婆は観世音菩薩の導きによって成仏したため呪いが残る事はありませんでしたが、お坊さんは阿武隈川のほとりに塚を作ってこの鬼婆を葬ったため、この地域は「黒塚」と呼ばれるようになったと語られています。
黒塚の話は「能」でも演目の題材とされており、とても有名な演目の一つです。
「鬼婆」の正体
旅人を喰らう鬼婆ですが、非常に強い憎しみや怒りによって鬼になってしまった女性と言われています。
そうだとすれば、人を殺して食べてしまう程膨れ上がってしまった負の念の原因も気になってしまいます。裏切られ、奪われ、不条理に苛まれた結果狂ってしまったのであれば鬼婆も可哀想な妖怪なのかも知れません。
また、現代では性格が悪かったり粗暴だったりする女性の事を指す言葉にもなっていますので、「鬼」にならないように中身の方も省みる必要がありそうです。