赤手児は、東北地方の青森県八戸市に伝わる妖怪です。
旧八戸小学校の敷地内に生えている、古い「サイカチ」の木から赤い色をした赤子の手のような物をぶら下げるように出しているとされています。
「赤手児」の伝承
青森県八戸市内にある旧八戸小学校の敷地内(現・商工会議所近辺)に大きなサイカチの古木があり、赤手児はその木にぶら下がるようにして現れると伝わっています。
赤手児は夜間にサイカチの近くにいる通行人に対して石を投げつける事があるとされています。
また、赤手児が現れる木の根元には振り袖姿の美女が佇んでいる事があり、その姿を見ると熱病や疫病にかかるとされています。
「赤手児」の物語
八戸市では、赤手児の伝承は「ある美女」と共に伝えられています。
1882年頃、明治記念館が小学校の講堂として掘端町に建築されました。その際に、大罪を犯したとされる17〜18歳の美女を生き埋めにし、その上にサイカチの木を植えたそうです。
彼女の慰霊のためか、サイカチの根元には「若宮神社」と書かれた小さな祠があると伝えられています。
しかし、女性の怨恨は鎮まる事はなく、そのままサイカチの木と同化したそうです。そのサイカチの木からは赤い手が現れるようになったり、枝の剪定をすると血が吹き出すようになったとされています。
更には木の根元に振り袖を着た姿で現れては、その姿を見た人をことごとく熱病にかけて祟ったと伝えられています。
「赤手児」の正体について
私は赤手児の正体は「サイカチの果実」だと思っています。
というのも実際に見ると分かりやすいのですが、サイカチの付ける果実は赤黒い色をしており、形もあらぬ方向に曲がった赤子の手のように見えます。しかも実を付ける時期が秋の10〜11月頃という日が沈むのが早くなってくる時期です。
秋の薄暗い道の中、サイカチの枝からぶら下がる不気味な果実を赤子の手と見間違えてもおかしくないと思います。投げつけられた石も割れたサイカチの実の種だと思います。
また、美女についての考察ですが、こちらは「処刑」ではなく建築のための「人柱」だったのではと思います。
かつて、日本では城や館等の立派な建築をする際に建築の安全や地鎮を兼ねて人を生き埋めにした記録があります。また、更に古い時代では巫女や若く美しい女性を人柱にした事もあったようです。
実際のところ、サイカチの木の美女がどんな大罪を犯したか伝わっていません。恐らくですが、罪など関係無く人柱として選ばれてしまい、多くの無念を宿したまま亡くなった事でその地に残ってしまったのではないでしょうか。